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宮下朝子さん

Bachelor of Science
(Nursing) (Registered Nurses)
コース を終えて、、、今 私が思うこと




目次

 第1回 「発見! Perthで看護婦になる手がかり」
2001.12.24

 第2回 「目標! 看護婦になるための1年のコンバージョンコースに入る」
2001.12.27

 第3回 「入学! コンバージョンコースをやりとげたい」
2002.1.8


 最終回 「続編! コンバージョンコースをやりとげたい」
2002.1.15





宮下朝子さんのプロフィール

1970年熊本県八代郡生まれ。
1991年神奈川県衛生看護専門学校第一看護学科卒業。
藤沢市民病院にて、放射線科、 皮膚科、婦人科、腎臓科、泌尿器科、糖尿病科、眼科 勤務を経て、 1998年渡豪。
2001年 西オーストラリア州カーティン工科大学看護学部学士課程修了。







最終回 「続編! コンバージョンコースをやりとげたい」
2002.1.15


無事、1学期を終えた私は、気づくともう2学期に入っていました。それでは、残りのCORE SUBJECTS について説明したいと思います。


『MANAGEMENT IN HEALTH CARE 417』

これは、私達日本の看護婦にはあまりなじみがない教科だと思います。 この教科では『マネジメントとは』『リーダーシップとは』などを学でいきます。キャリアプランのたて方等も考えていきますが、最初から最後まで私にはピンときませんでしたが、 これは、これからの看護婦にはかなり必要になってくるものだということを強く感じましたので、自分でまたテキストを読みかえしみようと思っています。


『PROFESSIONAL PRACTICE CONTRACT 394』


ここでは、自分のやりたい看護についてのトピックを決め、事前にそれについて文献や記事を読んだりしてliterature review (文献調査のまとめ)を書き、それを元に病院実習を行うという教科です。
しかし、私達の時は、病院実習にいく段階で院内感染が問題になり、学生は病院側から断わられてしまい、実習にいくことができませんでした。 でも、一人の学生の方は運良くいくことができました。その学生さんは、最初はすごくいやだって言っていましたが、実習が終る頃は人もよかったし、なんか、看護技術面ではやっていけると思ったそうです。 あとは、communication だと言っていました。
私も1日だけ違う教科で病院にいきましたが、看護ケアのレベルは日本のケアの方が細かい印象をうけました。 この教科で実習にいけたのなら、自分がここで看護婦としてやっていくのに何が必要だとか医療機具などの使い方が学べていいと思います。


『RESEARCH FOUNDATION IN NURSING 213』


この教科は、すごくいいと思います。これからの看護婦達が、何か看護研究をするのに役立つと思いました。しかし、私には、あまりにもなじみがなく、しかもテキストもかなり複雑にかいてあるので、理解するのには、かなり苦労しましたが、終ってしまった今も、この教科は奥が深いと思います。これも時間があったらもう1度テキストを読んでみたいと思います。

さらに、この教科はonline で情報交換を行なっていく方法をとっており、researchの仕方などを学ぶこともできます。私にとってonlineで学ぶことは初めての経験だったため楽しかったように思います。



以上が私達が今とらなくてはいけないCORE SUBJECTSです。
この他に2つオプションをとりますが、私は一つは英語の教科にしましたので、他の1つだけが看護のオプションになります。
『PALLIATIVE CARE 260』が私の看護のオプションです。
これは、日本でいう緩和ケアです。 ターミナルの患者さんや慢性の痛みをもった患者さんに使用する治療の1つです。これは、ぐっと専門分野に入るので、治療についての全体的な知識を学ぶことができます。この教科は、多少なりとも看護婦としての経験がないと、かなり難しい教科のように思いました。アサイメントでも、ぐっと深いものが求められているような印象を受けました。

このコンバージョンコースを終えて思うことは、もちろん大学でやっていくだけのある程度の英語力は必要ですが、決っして自分に負けてはいけないということです。時々、アサイメントが重なり、パニックになってしまいそうになりますが、自分を信じてコツコツとやることが大学生活を乗り切るポイントのような気がします。もう、駄目だと思った時、自分からあきらめたら、誰も助けてはくれませんが、あきらめずにやると、先生方やクラスメイト達が必ず助けてくれます。だから、大学に入ったら自分に力を信じてがんばって下さい。これが、私が、これからの人達にいえるアドバイスだと思います。

もし、みなさんが本気でここで看護婦をしていきたいのならば、英語をがんばって下さい。きっと、道が開けます。(終)

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第3回 「入学! コンバージョンコースをやりとげたい」
 2002.1.8


私はやっとの思いでコンバージョンコースに入る切符を手にした時、「英語で苦労するのは分かっている。 だけど、このコースをやりとげたい。」という思いで入学しました。
今回は、私がこのコースでどんなことを学んだか、分かる範いで説明したいと思います。


『HEALTH ASSESSMENT 261』

これは、日本でいうアナムネに必要な情報のこと等を学びます。あとphysical examination というのは、患者さんの身体の機能をチェックするもので、すごく役立つだろうと思います。日本では、ここまで看護婦はしないだろうという事が習得ができるしなぜ、あの時、Dr.がこんなことをしてたのかと理解できる場面などもあります。

私は、このHealth Assessment 261の為に、1冊のハンドブックを買いました。タイトルは 『NURSES' HANDBOOK OF HEALTH ASSESSMENT』FOURTH EDITION , JANET
R. WEBER, LIPPINCOTT 。これが1冊あると 、HEALTH ASSESSMENTは乗り切ることができると思います。


『PROFESSIONAL PRACTICE ISSUES 214』

ここでは、オーストラリアの看護のポリシーやルール、そして法律を学びます。沢山の文献や記事などをトピックに沿って読み、ケーススタデイ等を行い、パースで看護婦をやっていく上でのポリシーやルール、そして法律について具体的に学んでいきます。

私はここで、パースの医療事故の状況も日本の医療事故の状況も似ていると思いました。私にとってこの教科は、とても面白く学びました。しかし、アプリケーションフォームを作るアサイメント(課題)は、かなり自分の選んだトピックの専門知識がかなり必要だなと感じ苦労しました。

アプリケーションフォームとは、自分の選んだトピックを誰が読んでも理解できるように作るものです。私の時は、5つ程のトピックがあり、私はその中の看護記録や医療記録について書くトピックを選びました。私はそれを更に、糖尿病の患者さんにとっての看護記録と医療記録について書きました。

内容は、何故それが必要なのかとか、後は自分の経験からのシナリオなどをつかって説明したりしましたが、その時、自分があまり具体的な糖尿病の治療や看護が書けなかったのが、すごく恥ずかしかったように思います。

このアサイメントを通して、私は日本で何を学んでいたのだろうと疑問に思うほど、病名に対する知識や看護の知識がないと思いました。


『SOCIOCULTURAL PERSPECTIVES ON HEALTH』

これは、オーストラリアのカルチャーや、社会的クラスレベル、アボリジニーについて学びます。時々、オーストラリアのカルチャーやスタイル、習慣などを知らないと難しいところもありますが、私は個人的にアボリジニーについてほとんど知識がなかったので、この教科でアボリジニーの方達について少し学ぶことができ、とてもよかったと思います。
この教科でやるグループワークのアサイメントは、先生がかなり厳しくチェックするので、ポイントをゲットするのにすごく重要だと思いました。

この教科も、毎週かなりテキストを読まなくてはいけませんが、何とかなります。


以上が私が1学期にとったCORE SUBJECTS(必須教科)です。
私が1学期を終えて学んだことは、「辛くても泣いてはいけない、ただ、ただアサイメントをこなす事が大事」ということです。このコンバージョンコースに入ってからは、「泣き虫 朝子」の姿はなく、毎日、アサイメントと格闘している「たくましい朝子」しかみえなかったと思います。(つづく)

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第2回 「目標! 看護婦になるための1年のコンバージョンコースに入る」2001.12.27


Perthで看護婦になる手がかりを知った私は、直ぐ語学学校の先生に相談しました。
その結果、私はさらにあと一年、語学学校に行く事を決意しました。途中、私の英語が思うようには伸びず、何人かの先生から、大学入学はあきらめた方がいいだろうと言われました。

一瞬、あきらめようかと思いましたが、やっぱり、あきらめられなくて、『 IELTS (INTERNATIONAL ENGLISH LANGUAGE TESTING SYATEM) 』という英語のテストに2回チャレンジしました。このテストでも、メインのコンバージョンコースに入るレベルには達していなかったのですが、大学に入る前の『 ENGLISH BRIDGING COURSE (大学入学・編入希望者のための、英語のコースです。) 』で勉強できることになりました。私はここで『目標』への第一歩を踏み出すことができました。

しかしながら、『目標』への第一歩を踏み出した後、また、私を襲ったものは『英語の壁』でした。この壁はすごく厚く、一寸努力したぐらいでは埋めることはできませんでした。
『しゃべれない!聞けない!書けない!読めない!』、この四重苦はとてもつらく私にのしかかり、他の生徒との差を歴然と感じてしまいました。

私のクラスは日本人が二人で、あとは、ヨーロッパ人、アフリカ人、中国人、インドネシア人、マレーシア人と国際色豊かな20人前後のクラスでした。どうしても、 私には、他のクラスメイト達が、すごく英語ができると思ってしまい、毎日、「私は来てはいけないところにきてしまったんだ、夢はやっぱり夢だったんだ。もう、日本に帰ろう。」と何度も思いました。ここでも『泣き虫朝子』は健在でした。

でも、日本に帰りたいという思いより、途中でやめて帰る事が、私には許せませんでした。やるだけやって、駄目っだったら帰ればいいじゃないかと自分に言い聞かせ、せっかく、手にした夢への切符、途中であきらめることは勿体ないということにも気づきました。

幸にも、先生やクラスメイト達はすごくいい人達ばかりで、できない私に、いつも温かい言葉と手をさしのべてくれました。そして、自分を信じて このコースを終え、すべてにパスしたときは、すごく嬉しかったです。そして、暫くして、大学から、コンバージョンコースへの入学の許可がおりた時には、信じられないくらい嬉しかったです。

ここまでの道のりを振り返ると、私はメインのコースに入るまで、なんと2年もかかったことになります。もし、これから留学を考えている方は、お金の節約のためにも、日本でコツコツと、自分に合った方法で英語を勉強されてから、留学された方がいいかもしれません。私は、これをおこたった為に、今、現在も、かなり英語では苦労しています。しかし、努力は実り、私は看護婦になるための1年間のコンバージョンコースに入る切符を手にしたのです。(つづく)

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第1回 「発見! Perthで看護婦になる手がかり」 2001.12.24


最近 看護婦の network を通して、 Australia で看護婦として働きたいという人達に会うことができました。気のせいか そういう若い人達が増えているように思います。彼らは、すごく夢があり、話してみると 凄いpowerを感じます。
私も途中からは、彼らと同じ思いで、ここまでがんばってこれたのだと思います。

実をいうと、 私は、日本で看護婦をするのに息苦しさを感じ、十代の時にできなかった語学留学をやりたいという思いで、 約7年間の看護婦生活にピリオドを打つ決心をしました。この時、 私が英語で看護 の勉強をするとは、夢にも思っていませんでした。

語学留学をしようと決めてからは、どうしたら語学留学が出来るのだろうと思い、私は、まず本屋に行き、留学についての本を買いました。どこの国がいいかしらと思った時、観光に行って気に入った場所がAustralia のPerth ,しかも コストも安くつくはずと思い、この地域を選びました。仕事の合間をぬって、私は着実に語学留学の準備を整えていきました。 手続きは、業者を通すのが簡単ですが、自分でやれないこともないので、自分でやりました。 この時の私の英語力は『0』に等しかったはずです。

いよいよ、語学留学に向けての日が来ました。 私は、ただ ただ、新しい出発だと思って 成田からAustraliaに向かい、 不安と希望を抱きながらPerthに着きました。
なんとか、無事にホームステイ先の家につき、ホストファミリーのお母さんと軽く話して、一日目の夜は、すぐ寝てしまいました。彼女は、すごくゆくっり話してくれるので、何とか英語を理解することができましたが、
何時も『Yes』か『No』しか答えることができなかったのです。
この時から、日本で、もっと英語を勉強しておくべきだったと後悔しました。

語学学校に通っている時も、英語ができなくて、私は毎日のように先生に「英語が聞けません、書けません」と泣き付いていましたので、きっと、問題児の一人だったように思います。でも、私の問題児ぶりは、学校だけでは治まらず、外にまで影響をおよぼしたこともありました。今は笑って話せることばかりですが、この事件を経験して(教訓を、
「朝子のワンポイントアドバイス」にまとめました。)からは、下手な英語でも、何かおかしいと思ったら、すぐ行動に移さなければならない、と肝に銘じました。

この事件とは、 私がパースに着いて、まだ6日目のことでした。
語学学校の授業が終り、私は家に帰ろうとバスを待っていた時のことです。私の待っていたバスが来たので、私は、そのバスに乗りましたが、なんだか何時もと違う道を行くなって、一瞬、不安が頭をよぎったのですが、いや、そんなことがあるはずがないと、思い直して、そのまま乗っていたのです。

でも、 暫くして、だんだん、不安が現実になってきて、私は、何もできないまま、とうとう、終点についてしまったのです。
私はやっとのことで、バスドライバーに、バスを間違えたことと、どうしたら帰ることができるのかを聞きました。が、バスドライバーは、「ここで次のバスを待って帰るしかない」と言うのです。でも、次のバスまで約1時間半も待たなくてはいけなくて、私は、『こんな知らない所でそんなに待てるか』と思ったのです。この時の私の顔が凄かったのでしょう。
そのバスドライバーは、無線で私のことを事務所に話し、私を家の近くまで送ってくれました。

ステイ先の見慣れた光景に出会って、ほっとした私に、バスドライバーの方は、『パースに来て6日目で、それだけ英語が話せたらいい方だ。』と、私のことをそんなに怒るでもなく、逆に「日本人には多いから」と言ってくれました。私は、感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいで、この後からは、私はバスに乗る時は、十分に気をつけ、 また同時に、「日本人には(間違える人が)多いから」と言われたこともあって、新しく来る日本人の学生に、頼まれもしないのに、バスの乗り方を、すごく丁寧に説明する習慣が身についてしまいました。そして、この時、学んだことは、この環境でサバイバルするためには、とにかく、英語は伝わればいい、ということでした。

こんな調子で、当初の予定の三ヶ月はあっという間に終わりました。でも、日本に帰ることを考えると、どうしても物足りなさが残り、思い切って、さらに3 ケ月延長したのです。
この、ビザを延長している期間に知り合った旅行会社の方が、『看護婦の資格があるんだったら、この国でもなれるよ。ここで看護婦をやってみたら』という助言に、私は『英語を使って看護婦か---。なれるんだったらなってみたい』と思って情報を集め、私は看護婦になる手がかりを発見したのです。
それは、オーストラリア以外の看護婦資格を持った人たちを、学生として受け入れる『Perthで看護婦になるための1年間のコンバージョンコース』でした。(つづく)

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                                      看護留学@
                                       





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